アブ・シール南丘陵遺跡に使用されている石材とその劣化

                                            公開シンポジウム「エジプトを護る」より

1.はじめに

 アブ・シール南丘陵遺跡保存のための基礎調査として石材に関する調査・研究を実施しました。すなわち、遺跡にどのような石が使われ、それがどこからやってきたのか、また、石材の劣化状況やその原因を明らかにするために調査を行いました。実際には現地で石材の目視調査を行うとともに、帯磁率測定、含水率測定や強度測定等を実施し、持ち帰った試料に対して、顕微鏡観察や化学組成分析を行いました。

 アブ・シール南丘陵遺跡には、石造建造物としては、丘陵頂部の石造建造物(図1)と裾野にある石積み遺構(図2)の2つがあります。丘陵頂部の石造建造物は新王国時代第19王朝に、そして裾野の石積み遺構は、古王国時代の第3王朝の頃に造られたと推定されています。新王国時代では、古い時代の建造物の石材転用が頻繁に行われています。そこで、アブ・シール南丘陵遺跡がピラミッド地帯の真ん中にあり、その供給源としてピラミッドが考えられるため、ピラミッドの石材調査も行いました。実際、アブ・シール南丘陵頂部遺跡のトゥラ産白色石灰岩には、転用前の小ピラミッドの表面の痕跡やピラミッド周壁の丸い屋根の痕跡が残っており、これらの石材が転用材であることは明らかです(柏木裕之氏)。

 ピラミッド地帯は、北からギザ、アブ・シール、サッカラ、ダハシュール地区の4地区に分けられます。ここではサッカラ地区というのは階段ピラミッドのみを指すことにします。これらの建造順序は、古い方からサッカラ、ダハシュール、ギザ、アブ・シール地区の順です。

 

2.アブ・シール南丘陵遺跡の石材

 アブ・シール南丘陵遺跡で最も多く使われている石材は、トゥラ産白色石灰岩です。とても白く綺麗な石灰岩です。また、これと似た石に、硬質白色石灰岩があります。基本的にはトゥラ産白色石灰岩と同じものと考えられますが、硬いことから、硬質白色石灰岩と呼んでいます。しかし、アブ・シール南丘陵遺跡では硬質白色石灰岩は数個しか認められません。

 石灰岩としてはその他に、含大型有孔虫石灰岩が20個ほど見られ、また、大型有孔虫の一種で貨幣石と呼ばれる特徴的な化石を含んだ石灰岩が数個見つかっています。また、丘陵頂部の石造建造物の壁の充填材や裾野の石積み遺構に使われている現地性と思われる灰色石灰岩もあります。

 石灰岩以外では、量的に少ないですが、擬扉や祭壇に使われている赤色花崗岩やもともと何であったか分かりませんが、珪質砂岩が認められます。

 

3.ピラミッドの石材との比較

ピラミッドの表面は元々トゥラ産白色石灰岩で覆われていたと考えられ、屈折ピラミッドでは現在でもトゥラ産白色石灰岩の表装石が多く残っています。硬質白色石灰岩は唯一サッカラの階段ピラミッドの外周壁に認められます。他方、ピラミッド内部には、後で述べるように現地性の灰色石灰岩が使われております。

 石灰岩以外の石材として花崗岩が見られます。一番多いのが赤色花崗岩で、その他に灰色花崗岩や黒色花崗岩が使用されています。さらに玄武岩、珪質砂岩やトラバーチンと呼ばれる炭酸塩岩も見られます。

これらの石材の内、各ピラミッドに共通して使われている石材は、トゥラ産白色石灰岩と現地性石灰岩と赤色花崗岩の3つです。ここではトゥラ産白色石灰岩と現地性石灰岩の2つに的を絞って話をします。

 トゥラ産白色石灰岩は、主に極めて細かい方解石の粒子からなっています。硬質白色石灰岩はトゥラ産白色石灰岩と似ており、同様に細粒の方解石からなっています。これらの石灰岩の中には有孔虫等の小さな化石が見られ、両者は岩石学的に同じものであると言えます。図3は、これら石灰岩のストロンチウムとシリカの含有量を比較した図です。トゥラ産白色石灰岩と硬質白色石灰岩は、ストロンチウム含有量がほぼ同じで、見かけも非常に似ており、基本的には同じ石灰岩と思われますが、そのシリカ含有量には違いがあり、硬質白色石灰岩は純度が高く、シリカの平均含有量は1%程度です。このような岩石的な特徴から硬質白色石灰岩はトゥラ産白色石灰岩のバリエーションである考えられます。この硬質白色石灰岩は、建築学的な研究から、すぐ近くの階段ピラミッドの周壁から転用されたものと考えられています(柏木裕之氏)。

 図4はトゥラ産白色石灰岩のシリカ含有量を比較した図です。図4の(b)はアブ・シール南丘陵頂部遺跡のもので、(c)はそれよりも南側にあるサッカラとダハシュール地区のピラミッドの表装石に使われているトゥラ産白色石灰岩のシリカ含有量で、(a)は北側に位置するギザとアブ・シール地区のトゥラ産白色石灰岩のシリカ含有量です。南側の相対的に古いサッカラおよびダハシュール地区のトゥラ産白色石灰岩のシリカ含有量は平均で1.6%、それに対して北側の新しいギザとアブ・シール地区のトゥラ産白色石灰岩のシリカ含有量は3.9%と高くなっています。一番古いサッカラ地区では硬質白色石灰岩が使用され、そのシリカ含有量が1%で、純度が最も高く、硬質白色石灰岩も含めてこのように古い時代ほど良質のトゥラ産白色石灰岩が使用されています。

アブ・シール南丘陵頂部遺跡には多くのトゥラ産白色石灰岩が使われていますが、それがどこから転用されたのか、シリカ含有量から推定することができます。アブ・シール南丘陵頂部遺跡のトゥラ産白色石灰岩のシリカ含有量は平均4.5%で、他の地区よりも高くなっています。細かく見るとサッカラの階段ピラミッドで1.2%,ダハシュールで2.2%、ギザで3.5%、アブ・シールで4.4%となっており、建築順に不純物が増えています。このことから、アブ・シール南丘陵頂部遺跡のトゥラ産白色石灰岩は、アブ・シール地区から転用されたことが推定され、このことは建築学的な見解(柏木裕之氏)と一致しています。

 石積み遺構を含む内部石灰岩は後で述べるように、現地産の石灰岩であると考えられ、不純物を多く含み、黄褐色を呈しています。アブ・シール地区の現地性石灰岩を顕微鏡で観察してみると石英粒子が多く含まれており、トゥラ産白色石灰岩と現地性石灰岩とでは、色や不純物の量がかなり異なっています。

 内部石灰岩は一般的に黄褐色を呈していますが、それに対してトゥラ産白色石灰岩はやや黄色味を帯びていますが、白に近い色を呈しています。その色の原因は、含まれている鉄にあります。図5に示したとおり、ピラミッドの表装石(トゥラ産白色石灰岩)では鉄含有量(Fe2O3として)が平均で0.16%、それに対しピラミッドの内部石(現地性石灰岩)では1.16%となっており、7倍の違いがあります。シリカ含有量の違いも明らかで、ピラミッドの表装石では、2.8%ですが、内部石では14.2%で、5倍の違いがあります。

この内部石灰岩が現地性のものであることを示す根拠として、まず、化学組成が挙げられます。図6においてアブ・シールとサッカラ地区の内部石とその周辺の露頭から採取した石灰岩の化学組成はほぼ一致しております。このことから、これらピラミッドの内部石には周辺の石灰岩が使われたことがわかります。また、ギザ地区のピラミッドの内部石とすぐ近くの露頭の石灰岩ではともに不純物が低く、ほぼ一致しています。ダハシュール地区では露頭が見当たらず、分析値がありませんが、ピラミッド内部石の分析値は、上記の他の地区とは異なった場所から採掘されたことを示しています。

 また、非破壊法である帯磁率測定からも石灰岩の供給地を調べることができます。ギザのピラミッドの内部岩では、0.012×10-3SI unit、そしてギザ周辺の露頭では0.004×10-3SI unitと小さな帯磁率を示し、ほぼ一致しています。アブ・シールおよびサッカラ地区のものは見事で、階段ピラミッドで0.036×10-3SI unit、アブ・シールのピラミッド内部石で0.036×10-3SI unit、アブ・シール南丘陵遺跡の石積み遺構で0.037×10-3SI unitと大変似た値を示しています。サッカラ地区の入口にある露頭の帯磁率は0.036×10-3SI unitで、まさにこれらの遺跡の石灰岩はサッカラおよびアブ・シール地区の露頭から採掘されたことを示しています。

 

4.石材の劣化

 劣化の様相を呈している石材は、石灰岩だけであり、その他の花崗岩や珪質砂岩などの硬い石材では全く劣化が見られません。アブ・シール南丘陵遺跡で見られる劣化としては、表面剥離という現象が見られます。石灰岩の剥離片を裏返しにしてみると表面に小さな結晶が見られます(図7a図7b)。これは石膏や場合によって食塩の結晶で、これらの析出により剥離が生じたと考えられます。

 同じような現象はアブ・シール南丘陵遺跡周辺の石灰岩の露頭にも見られ、露頭の上部表面は剥離によりガサガサになっています。剥離片の裏には、同じように石膏や食塩の結晶が析出しています。また、露頭側面でも、所々に石膏の析出が見られます。このような塩類の析出には水が関与していると考えられます。

さらに、岩窟遺構AKT01内部の壁面にも先が尖った白い結晶が見られます。これは繊維状の形をした石膏です。このような石膏の結晶も岩盤表面から蒸発する水分の移動に伴って生成されたものであると考えられます。また、劣化は引き起こしていませんが、埋もれた石積み遺構の砂を取り除いたとき、石材表面が赤褐色の物質で覆われていました。分析した結果、これは食塩の結晶で、地下での水分移動によって砂の中の塩分が石材表面に析出したものと考えられ、砂漠のような地下でも実際には若干の水が存在し、移動していることを示しています。

 これらとは違った石材劣化現象としてタフォニが挙げられます。石材表面に細かな穴があき、それが次第に大きくなる現象(図8図9)ですが、これは塩類風化の一種と考えられています。このようなタフォニという現象にも水が関与していると考えられ、岩石中の水分の蒸発に伴って塩類が表面に析出することにより形成されると考えられます。

ピラミッド地帯に近いカイロの年間降水量は25mm程度であり、雨水がこれらの劣化現象に関与しているとは考えられません。その水分供給源としては空気中の水分が考えられ、空気中の水分の結露・蒸発過程が劣化にかかわっていると思われます。気象観測データによると(西浦忠輝氏)、早朝には湿度が100%近くになり、岩石表面に結露が生じます。実際に砂漠の砂は、朝方、結露した水のせいで湿っています。岩石表面の含水率を計ると、朝方は高く、日中はだんだん下がる様子が確認されます(図10)。このような結露・蒸発が毎日繰り返されることによって石材中の塩類が石材表面に析出し、劣化を引き起こしていると考えられます。露頭の石に関してはさらに地下水の影響があるかもしれませんし、また、風とか、太陽光の影響もあるかもしれませんが、基本的にはこのような大気中の水分の結露・蒸発の繰り返しが劣化をもたらしたと考えられます。


エジプト ピラミッド地帯の遺跡写真集